「家事を手伝う」のと「家事を一緒にやる」の間には、大きな差がある。
今思えば、かつての僕は“お手伝い”の感覚でしか家のことに向き合っていなかった──。
家のことは「やってくれて当然」だと思ってしまっていた
仕事から帰ってきて、夕飯が出てくる。
洗濯物は畳まれていて、
子どももお風呂に入っている。
それが当たり前になっていた自分に気づくのに、何年もかかりました。
「疲れてるんだから俺は休ませてくれよ」
と思っていたあの頃。
今思えば、自分中心の目線でしか家庭を見ていなかったと反省しています。

「家族も1日の終わりに疲れている」という当たり前
ほとんど毎日、たとえ夜中でも私が帰宅するまで自分も夕飯を取らず待っていてくれる妻、
そんなことまでもが当たり前かのようになってしまっていたあの頃、
ある日、仕事から帰宅した僕に、妻がふとこう言ったんです。
「今日は、いつも以上に早く帰ってほしいと感じた。この一緒にご飯食べながら話す時間が、人並みに会話ができる唯一の時間なんだ。。」
(赤ん坊のみと過ごす一日は長く、当然普通の会話は成立しない)
その言葉に、ハッとしました。
そんな中で一日を過ごしていて、疲れていないはずはありませんよね、、、さらに、
僕は職場ではチームメンバーの一人として同僚と会話しながら働いているけど、
妻は一人で長い一日を過ごしている!
僕が自宅にいるときにはじめてチームを味わうことができる。
家庭も同じように“チーム”なんだと実感しました。
そこから少しづつ意識が変わっていったような気がします。
小さなことでも「一緒にやる」が嬉しい
例えば、子どものお風呂。料理中の洗い物。寝かしつけ前の絵本読み聞かせ。
1つ1つは小さいこと。でも、それを「一緒にやる」だけで妻の表情が変わる。
「ありがとう」なんて言われると、逆にこっちが嬉しくなる。
そういう小さな喜びの積み重ねが、家庭を温かくしてくれるんだと思います。

自分の変化に、子どもたちも敏感だった
子どもたちは、大人の表情や言葉にとても敏感だという事を改めて知ることになりました。
僕が穏やかに過ごしていると、子どもたちも自然と落ち着いてくる。
大声で泣き叫び、両親へ何かをねだる子どもの行動は”親の愛情を確かめる”
ための行動といわれることがあります。
自身の経験から、日々愛情を受けて育つ子どもはそのような行動が少なく穏やかでいることが
多くなっていくように感じました。
「助ける」から「担う」へ──パートナーとして
僕が少しでも家庭を「自分ごと」として捉えられるようになったことで、夫婦関係は劇的に変わりました。
妻に「ありがとう」と言われるより先に、こちらから「ありがとう」と思える毎日。
それが、“パートナー”であるということなのかもしれません。
最後に
「家事を手伝ってるつもりなのに、なんで感謝されないんだろう?」と思っていた過去の僕へ。
それは“やってあげている”という意識が透けて見えていたからかもしれない。
妻は自分が意識している以上に自分のことを見てくれているんだと思います。
家庭は共同運営。夫婦はチーム。
その意識に変わるだけで、家の空気がふわっと変わる。
これからも、できることから一緒にやっていこう。

最後までご覧いただきありがとうございました!
本記事が読者様のよりよい人生の一助になれれば幸いです。
この記事を書いた人:AaKii
家族ファーストを実践し、夫婦関係・親子関係の改善に取り組む。
実体験をもとに、より良い家庭作りのヒントを発信。
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